|
1429年に成立した琉球王国では、代替わりごとに冊封(さっぷう)式典が行われました。 冊封とは、中国皇帝が親王や群王などを任命する事であり、国王即位の式典のための詔勅(しょうちょく)と新国王に戴冠する王冠を携えて来た使者を冊封使(さっぷうし)と称します。 冊封使の来琉船はその王冠に由来して、御冠船(うくゎんしん)とも呼ばれます。
琉球王朝では、御冠船で中国から来琉した冊封使をもてなす必要から「踊奉行(うどぅいぶじょう)」の役職を設けて、数多くの芸能を仕立てさせました。これを「御冠船踊(うくゎしんうどぅい)」といい、廃藩置県後(明治の中期以降)に創作された「雑踊り(ぞううどぅい)」に対して今日ではこれを「古典舞踊」と呼びます。
古典舞踊には、「老人踊り」「若衆踊り」「女踊り」「二歳踊り」「打組踊り」があり、衣装のあでやかさから優雅で華やかな王朝時代が偲ばれます。
明治時代の初期には、御冠船時代の読谷山親雲上(ゆんたんざ ぺーちん)などが活躍しました。
御冠船踊の技術は、読谷山親雲上から玉城盛重(たまぐすく せいじゅう)、渡嘉敷守良(とかしき しゅりょう)、新垣松含(あらかき しょうがん)などに受け継がれ、その三名もまた、弟子たちの育成に力を入れました。
昭和を通じて活躍した舞踊家に、真境名由康(まじきな ゆうこう)、玉城盛義(たまぐすく せいぎ)、島袋光裕(しまぶくろ こうゆう)、親泊興照(おやどまり こうしょう)、宮城能造(みやぎ のうぞう)、金武良章(きん りょうしょう)がいます。
現在は、その名まえを冠した各会派が、琉球芸能の発展と後継者の育成に力を注いでいます。
※ 親雲上(ぺーちん)とは、琉球王府に勤める士族の役職のひとつです。
|